「芽が出てくるのが見えるんだ。」

 

庭の周りの低い大谷石の塀に

子供のように腰を掛けて

庭を眺めている父が言った言葉。

 

庭の畑に野菜の種をまき、苗を植え

日中は殆ど庭で過ごす父。

 

塀に腰をかけているので

身体の半分はお隣さんちに入り込んでいるのが

ちょっとおかしくて

 

「そこで何をしているの?」

と声をかけたら

この返事。

 

蒔いた種から芽が出てくるのが見えるんだという。

 

「嘘だぁっ」

と言ってしまったが

よく考えたら父にはみえるかもしれない。

だって、定点カメラのように佇んでいるから。笑

 

 

玄関にある花瓶のユリが

蕾から見事な花へと姿をかえた。

 

朝、起きて通り過ぎて2度見した。

いつの間に・・・。

というか寝てる間に?

 

父はこれには気付かない。笑

 

そういう季節だ。

 

きっと今もどこかで

「さあ、春ですよ」

と色んな芽が花が

聞こえない音をたててるんだろうな。

 

聞きたいな・・・。

躍動の音。

 

 

 

 

2024年今年もよろしくお願いいたします。

(遅い・・・)

 

昨年の夏、母が亡くなり

今は82歳の父と二人で暮らしている。

 

母が亡くなる前に実家に戻った。

 

父は道に迷うようになり、

運転をやめた。

自転車を新調して気が向いたらそれに乗って

ふんふんと出掛ける。

 

今日は私が仕事で外に出ていたので

一人で畑をぼーっーと眺めたりしたあと

その自転車で

近所のスーパーに電池を買いに行ったらしい。

 

ただ電池は家に沢山ある。笑

 

仕事で帰りが遅くなる時は

夕飯の用意をしていくのだけど

今日は夕飯に間に合いそうだったから

ご飯の支度は帰ってからするねと

その旨伝えて、手紙にも書いて行った。

(忘れてしまうので)

 

父の好物のレタスとキュウリがなくなりそうだったので

それだけをスーパーに寄って購入し

急いで帰宅したら、

オモシロかった。

 

 

 

 

同じものを買ってきている父。

 

これは気が合うのか?合わないのか?

 

久しぶりに二人でゲラゲラ笑った気がする・・・。

(父は、はにかみ笑いだが)

 

ありがとう、レタス&キュウリさん。

 

 

2023年も残りわずか。

なんだか色々あるけれど

今に限らず、いつの世もそりゃ色々あるに決まってる。

これだけの生があるのだから。

 

ただ、ほんの少しの自分の意識で行動で

何かが優しい世界にすすむならば

そちらを選択しつづけていこうと思う。

たとえ1ミリでも。

 

 

 

書いておきたいことがある。

 

2023年の夏、親愛なる母が天国にいった。

今、母の魂は母の魂としてどこかにあるのだろうか。

あわよくば、そばにいてくれたりもするのだろうか。

 

 

ねぇ、お母さん・・・

 

話しかけて

じっと耳を澄ましても

心を静かにしてみても

何も聞こえないし感じない。

 

もっと早く病院に連れていけば。

もっと早く一緒に住んでいれば。

「お母さん、大丈夫だよ」と言ったのに、ごめんなさい。

 

こんなことばかりを考えては涙を流していた。

自分が楽になりたかったせいもある。

どうしても母が天国で笑っている

そんな確信をもちたかった。

安心したかった。

 

 

 

先に色々あると書いたけれど

「わたし」という小さな世界にも

色々とあって

 

こりゃ、母が導てくれたな

というタイミングで出会った

ブログ、本がある。

(ありがとうございます)

 

本に出てきた百箇日という言葉ではっとして

慌てて数えたらあと数日。

 

「娘よ、忘れるな、百箇日!」

母がこう言っているとしか思えなかった。

 

百箇日とは簡単に言うと

いつまでもめそめそするな・・的な日。

(違うかしら・・。笑)

 

母が亡くなって100日目

おかげさまできちんと向きあうことができた。

 

 

涙の量は

多くても少なくても別にどちらでも構わないのだけど

明らかにその日を境に涙の量が減ったんだ。

 

 

 

大丈夫な気がした。

 

母はきっと笑っている気がした。

 

 

 

百箇日の日にお供えしたお花。

ピンク色カーネーション

花言葉は「感謝」。

 

 

 

 

自宅での17日の看護期間

訪問してくれたお医者さんに「治りますか?」ときいて

最後まで生きようとしていたお母さん。

 

毎日きてくれる看護師さんに歌を歌ってみせたり

何度も「ありがとねー」と言ってほほ笑んだお母さん。

 

保冷剤を体にあてると、「うほー気持ちいいー」と喜んでくれたお母さん。

 

腸から直接出る排泄物の袋を交換する時にいつも「くせっ」と言ったお母さん。笑

 

意識が朦朧として会話ができなくなっても

ずっと手を握らせてくれたお母さん。

 

笑っているような、歌っているような口のまま、

呼吸をやめたお母さん。

 

最後まで、そりゃもう、あたたかいお母さんだったよ。

 

 

 

そっか。

 

わたしが生まれてからずっとずっと

あなたが注いでくれていたものが愛なんだろうな。

存在そのものも愛なんだろうな・・・・。

言葉にできないな、この愛の質感。

 

ありがとう。

 

とっても会いたいけれど

わたしはもう少しこの生をしっかり生きるからね。

見ていておくれ(^-^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今日は原宿でお仕事。



10日間隔での

このお客様宅での仕事後、

原宿駅へ向かう途中


いつも明治神宮の木々達の頭部分が
見えていて

あの木々がある場所は

空気が違うということが

明らかにわかっていた。



という訳で

生まれて初めて(大袈裟。)

明治神宮に行ってきた。







確かに空気が違う!笑


なんでしょね、

この涼しい空気は。


木陰だからという理由だけでは

ないのだろな。








明治神宮御苑↓

緑が沢山。


鳥も虫も

好きずきにうたっていて

笑いが生じる。






蝶々が

スローモーションみたいに

飛んでいた。



人気だという、

清正井で

手をお水の中に

そっと入れさせていただいた。



「この手で

やさしい仕事が

できますように。」



いらっしゃるであろうお水の神様に

語りかけながら。




清正井のお水は


後ろにいる方に

綺麗ですねーと

話しかけたくなる程、

透き通っていて

冷たくて、気持ち良くて

そしてやっぱり優しい。


ありがとうございます。


そんな感じ。



きっと本来地球は

どこもかしこも

そんな感じなんだろうな。









今朝、仕事先への道中に出会えた地球。

画像だけでなく

匂いも音も

かがせたい、聴かせたい。笑



この川は

決して澄んだ水ではないけれど

魚にも亀にも遭遇できる。



毎週金曜日

ここの橋の上から川をのぞき込む。


雨が降っていても、

ひっからびそうな暑さでも。


橋の欄干の真ん中辺りに

誰かが結んだ

古びた赤いリボンがあって


この眺めを好きな誰かが

目印に結んだんだ。



と勝手に想いを馳せ

わたしも目印にする。




ありがとさん。





気付いてはいたけれど(笑)
もう5月。

春ってこんなに色とりどりなんだ‥
と、何十年も生きてきたわたしは
昨年の春にハッとした。

気まぐれシャッターに
おさまろうが、
おさまらなかろうが

今年の春も
健気でいて力強い
エネルギー満載の
色とりどりの世界が
確かにあった。

ありがと。






































季節も移ろう。







紫陽花さんの蕾はこんな様子。

食べちゃいたい!(くらい、かわいい。)





 

桜が満開。(昨日の夜)

自宅近くの桜の木は
毎年毎年、
こうして花をめいいっぱいに
咲かせてくれて。
ありがとうね、と頭を下げたくなる。

今年もやっぱり見惚れる程
かわいいよ。

ただ
今年の桜の花の咲き方が
いつもと違うような気がしてならない。
何でだろう。

何でだろう‥と
しばらく考えていたけれど
違って当たり前な気がしてきた。笑

それに気付けなかったんだな、わたし。


今年は雪みたいな桜だ。


そんなことを想って
眠りについたら
夢をみた。

審査員のいるカラオケ大会に
出場し、「津軽海峡冬景色」
を歌いはじめた。



上野発の夜行列車降りた時から
青森駅は雪のなか〜
北へ帰る人の群れはだれも無口で〜
海なりだけをきいている〜

ここまで
緊張のあまり、声がろくに出ず
よし、次のフレーズからしっかり出すぞ
と大きく息を吸って出した歌い声

歌い声というか、叫び声。

その叫び声に
自分でびっくりして
飛び起きた。


♫わ〜たしも ひとり〜

しーんとした部屋で

自分の耳に残る自分の叫び声の余韻を感じる。

 

怖いってば。わたし。笑



 

 




本日、誕生日。



この地球に生まれ落ちた日、
誕生日。

わたしは誕生日が大好きだ。


わたしの誕生日でない日も


きっと誰かの誕生日。



この地球上に
ひとつでも多く

笑顔の灯りが灯れ。






 

↑今日の朝の雲。

 

ソクラテスさんは言ったらしい。

「世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ。」

世界を動かそうとは思っていないが

小さな瞬間の連続が、それが目に見えていてもいなくても

世界を、地球を、回している。と思っている。

 

この言葉が、この選択が、

あの笑顔が、あの笑い声が、

この気持ちが、あの優しさが。

 

誰かが誰かの瞬間をみている。

その偶然が。

 

 


15年以上前からの習慣があって
それは

夜の睡眠前に部屋の隅に立ち、
「ありがとうございましたっ!」
と一礼してからベッドに入る、という習慣。

(お酒を飲み過ぎた日はベッドに直行しているけれど・・)
 

何となく始まった習慣。

 

その言葉の宛先は、

地球上のすべて。

宇宙中のすべて。

瞬間のすべて。

 

小さくもってくると、この部屋のすべて、細胞すべて。

想像でもってくると、人が決して見る事が無いような

秘境に佇む植物たちや動物や虫や蠢く微生物すべて。

 

人間もだよ。

 

(しつこいけれど)

もっと想像でもってくると

人知れず、地球の平和を祈っている方々や・・・・

切りがない。

ホントに全部!笑

 

 

ちょっと恥ずかしくて

多分今まで一人にしか言ったことがない習慣。

 

ありがとう、届け。

 

 



あけまして

おめでとうございます。



雪、久しぶり。

午前中に

パラパラと小さな白い雪が

空から落ち始めるちょうどその瞬間に

外で出会して、ちょっと感動した。 



雪が降ると

一瞬で

さまざまな音が縮こまるように

静かに静かに感じるのはどうしてかな。

車や人間の数はそのままなのに。

不思議。




ひと仕事を終え、

雪降る中、積もる中を

転ばないようにヘンテコな歩き方で

歩いていたのだけど


白くなったアスファルトの上を走る

ラジコンカーに抜かされた。

振り返ると

男の子が傘もささずにブイブイ走らせている。


笑った。



またその先で小さな女の子2人が

その手袋、絶対にビチョビチョだよね、

という手袋をはめた手で

楽しそうにミニ雪合戦をしていた。


笑うしかない。笑


子供って‥‥すごい。




2022年も

良く笑い、生きてゆこう。

そして丁寧に生きてゆこうっと。




どうぞ本年も

よろしくお願い致します。