2023年も残りわずか。

なんだか色々あるけれど

今に限らず、いつの世もそりゃ色々あるに決まってる。

これだけの生があるのだから。

 

ただ、ほんの少しの自分の意識で行動で

何かが優しい世界にすすむならば

そちらを選択しつづけていこうと思う。

たとえ1ミリでも。

 

 

 

書いておきたいことがある。

 

2023年の夏、親愛なる母が天国にいった。

今、母の魂は母の魂としてどこかにあるのだろうか。

あわよくば、そばにいてくれたりもするのだろうか。

 

 

ねぇ、お母さん・・・

 

話しかけて

じっと耳を澄ましても

心を静かにしてみても

何も聞こえないし感じない。

 

もっと早く病院に連れていけば。

もっと早く一緒に住んでいれば。

「お母さん、大丈夫だよ」と言ったのに、ごめんなさい。

 

こんなことばかりを考えては涙を流していた。

自分が楽になりたかったせいもある。

どうしても母が天国で笑っている

そんな確信をもちたかった。

安心したかった。

 

 

 

先に色々あると書いたけれど

「わたし」という小さな世界にも

色々とあって

 

こりゃ、母が導てくれたな

というタイミングで出会った

ブログ、本がある。

(ありがとうございます)

 

本に出てきた百箇日という言葉ではっとして

慌てて数えたらあと数日。

 

「娘よ、忘れるな、百箇日!」

母がこう言っているとしか思えなかった。

 

百箇日とは簡単に言うと

いつまでもめそめそするな・・的な日。

(違うかしら・・。笑)

 

母が亡くなって100日目

おかげさまできちんと向きあうことができた。

 

 

涙の量は

多くても少なくても別にどちらでも構わないのだけど

明らかにその日を境に涙の量が減ったんだ。

 

 

 

大丈夫な気がした。

 

母はきっと笑っている気がした。

 

 

 

百箇日の日にお供えしたお花。

ピンク色カーネーション

花言葉は「感謝」。

 

 

 

 

自宅での17日の看護期間

訪問してくれたお医者さんに「治りますか?」ときいて

最後まで生きようとしていたお母さん。

 

毎日きてくれる看護師さんに歌を歌ってみせたり

何度も「ありがとねー」と言ってほほ笑んだお母さん。

 

保冷剤を体にあてると、「うほー気持ちいいー」と喜んでくれたお母さん。

 

腸から直接出る排泄物の袋を交換する時にいつも「くせっ」と言ったお母さん。笑

 

意識が朦朧として会話ができなくなっても

ずっと手を握らせてくれたお母さん。

 

笑っているような、歌っているような口のまま、

呼吸をやめたお母さん。

 

最後まで、そりゃもう、あたたかいお母さんだったよ。

 

 

 

そっか。

 

わたしが生まれてからずっとずっと

あなたが注いでくれていたものが愛なんだろうな。

存在そのものも愛なんだろうな・・・・。

言葉にできないな、この愛の質感。

 

ありがとう。

 

とっても会いたいけれど

わたしはもう少しこの生をしっかり生きるからね。

見ていておくれ(^-^)